感じること
2019年11月05日
おへそから15センチ下の傷
生まれて初めての手術は、帝王切開でした。
おへそ下、約15センチのところには、横に15センチほどの傷が、赤く盛り上がっています。
出産から5カ月が経った今、傷口はふさがっているものの
皮膚同士が引っ張られている感は残り、痒さもあります。
出産直後は、自然出産の願いが叶わなかったこと、
肌にメスが入ったことに対して、落ち込みました。
でも、その気持ちが変わってきました。
今は、この傷があってよかったと思うんです。
私は、良くも悪くも、目の前のことに集中すると
その他のことがスコンと頭から抜けてしまいます。
その瞬間、娘のことも、自分が一母親であることも忘れてしまいます。
自分でもびっくりするくらい「個」に返ってしまうんです。
それでも、毎晩お風呂に入る時に裸になると
鏡に映るのは15センチの傷。
この傷を見る度に、私は、妊娠から出産までのこと
我が子が生まれた時のことを思い出します。
そして、改めて娘の存在と自分が母親であることを実感します。
とすると、私にとってこの傷は、あって良かったんだろうなと思うんです。
不思議だな。
そんなこと、その当時は思ったことなかったのに。
この傷も、いつかは目立たなくなっていくと思います。
きっとその時は、傷の存在がなくても、娘のこと
そして自分の役割が身に染みているのだと思います。
bubba_gump at 08:03|Permalink│Comments(0)
2019年05月30日
誕生。出産は100人100色だということ
出産と言うのは十人十色ならず百人百色だと思います。
同じことを、この二日間付き添ってくれた信頼できる助産師さんも言われていました。
時には死をも伴う出産の現場。今こうして母子ともに無事で元気でいる出られることが何よりだと思っています。
それでもあえて自分の気持ちの整理のために、言葉を綴りたいと思います。
担当の先生から帝王切開の話が来た時、私はもう悔いはないと思いました。
もちろん自然分娩を経験してみたかったけど、破水していることと、この陣痛の痛みに耐えなきゃいけないのかと思った時、もうこれ以上難しいのではないかと思いました。
その中で先生が言った言葉がすごく心に残ってます。
「もしかしたら赤ちゃんが出て来られない理由があるのかもしれないので」
「もしかしたら赤ちゃんが出て来られない理由があるのかもしれないので」
同じことを、この二日間付き添ってくれた信頼できる助産師さんも言われていました。
「先生も言ってたように、これはお母さんの体だけの問題じゃないと思う。もしかしたら赤ちゃんがへその緒に絡まっていたり、向きがちょっとずれていたり、産道に入れない理由があるのかもしれないから」
その言葉に深く納得をしました。
何より大事なのは、どんな分娩スタイルかより、母子ともに元気であること。無事であること。
破水した事は何か意味があったのかもしれません。もし破水をしていなかったら、このまま陣痛促進剤を使って、痛みに耐えて、赤ちゃんが降りてくるまで待っていたのかもしれません。
でもその痛さにもしかしたら私心が耐えられなかったかもしれません。その時は和痛言う手段もあったのですが、今となってはifの話です。
起こったことが現実。そこには何かしらの意味があると思います。
そう頭では思っていても、帝王切開で手術室に入り、先生や多くの助産師さん達に囲まれて手術が始まった時、私は涙を流さずにはいられませんでした。
そう頭では思っていても、帝王切開で手術室に入り、先生や多くの助産師さん達に囲まれて手術が始まった時、私は涙を流さずにはいられませんでした。
自分でもわかっていました。これは悔し涙なのだと。でもそんなこと思ったら、これから出てくる赤ちゃんに失礼だと自分に言い聞かせました。
もう麻酔が効き、下半身は全く感覚がありません。何をされてるかわからない中、開始から10分後くらいに先生から「お腹を押しますね」と声をかけられました。
麻痺されてるお腹が押されている感覚がある中で、次の瞬間赤ちゃんの声が聞こえました。
その瞬間私はもう涙を止めることができず、号泣してしまいました。
今思うと、どういう気持ちが涙だったのか、あまり説明ができません。でもただただ嬉しかった、ほっとしたというのが1番の気持ちだと思います。
私はその子が出てくる瞬間を見てません。だからあまり実感がわかなかったのが正直なところです。
それでも信頼できる助産師さんが「赤ちゃんですよ」って、私の近くまで生まれたての赤ちゃんの顔を近づけてくれた時、私は泣きながら笑っていました。
その後、胎盤の処置もして、トータル30分ほどで手術は終わりました。
その後部屋に戻り、動けない体のままベッドに横になりました。
その後部屋に戻り、動けない体のままベッドに横になりました。
夕方、改めて赤ちゃんに対面して、正直、不思議な気持ちでした。この子は自分の子なのかと思うとまだ信じられなくて、自分が母親になった感覚もまだなくて、本当に不思議な気持ちでした。
この日の夜は一人ぼっち。まだ足の感覚もしびれていて、手術後のお腹も痛み、なんだかパニックになってしまいそうなほど心細くなりました。
そのことを夜勤の助産師さんに話すと、「今までお腹の中に赤ちゃんがいたからかもね」と言われました。
「あーそうなのかもしれない」と腑に落ちました。これまで10カ月間ずっと一緒にいたから、それが普通だったから、この日突然いなくなって急に寂しくなったのかもしれません。
それでも麻酔の残りと、これまでの疲れがどっときて、夜中はうとうとしながら眠ることができました。
それでも麻酔の残りと、これまでの疲れがどっときて、夜中はうとうとしながら眠ることができました。
生まれて10分も経たない時の写真。夫が撮影。帝王切開後にすぐ目を開ける赤ちゃんは珍しいみたい。
bubba_gump at 02:37|Permalink│Comments(0)
誕生。自然分娩から帝王切開へ
先日、第一子を出産しました。
自然分娩を希望して、これまでマタニティーヨガや階段の上り下りや部屋の掃除など陣痛を起こしやすくするように頑張ってきました。
予定日を過ぎても一向に赤ちゃんは降りてくる気配がなく、
自然分娩を希望して、これまでマタニティーヨガや階段の上り下りや部屋の掃除など陣痛を起こしやすくするように頑張ってきました。
予定日を過ぎても一向に赤ちゃんは降りてくる気配がなく、
不安が募る日々が続きました。
病院からは予定日を過ぎて1週間以内に産んだ方がいいと言う事だったので、
入院は予定日の3日後となりました。
その場合は、陣痛促進剤を使ってお腹の赤ちゃんを人工的に誘発して出産に導くと言う方向になりました。
その3日後の当日の深夜3時、おなかの中の赤ちゃんが動きが激しく、一度起き上がったら破水をしました。
「破水した!このまま出産に行くかも」と正直その時の私は嬉しく思ってました。
ワクワクドキドキ半分、夫とタクシーに乗り込み病院へ行きました。
夜間だったので子宮口の開き具合を見てもらうのは当直の助産師さんでした。
子宮口が少し開いてるって言うふうに言ってもらえたので、期待をしていました。
翌日、担当医の先生に見てもらったところ、まだ子宮口が開いてないと言うことでバルーンと言う子宮口を開かせる器具をつけることになりました。
その作業はとても痛く、そして病室に戻った後は陣痛促進剤を入れることになりました。
その作業はとても痛く、そして病室に戻った後は陣痛促進剤を入れることになりました。
本当は陣痛促進剤を使いたくなかった。でも、もう破水してしまっているため、あまり時間がありません。
子宮口を広げながら促進剤を流しました。
その日の夕方、先生が内心をしてくれた時、残念ながら子宮口はあまり開いておらず。
この日の出産の見込みは薄いため、、促進剤を打つのは一旦中止。あまりの陣痛の痛さに身悶えていたので、正直ホッとしました。
そして、夜のうちに子宮口が開くことを願ってその日はゆっくり休むことになりました。
翌日、朝一で子宮口の開き具合のチェック。残念ながら昨晩から開いてる様子はありませんでした。
ここでさらに大きいバルーンを入れて、子宮口を5センチに開く処置をしました。
そしてこの日もまた陣痛促進剤を打ち、陣痛に耐える日々が始まりました。痛みが徐々に増し、おそらくそれを見かねた先生が2時間後ぐらいにバルーンを取り外してくれました。
そしてこの日もまた陣痛促進剤を打ち、陣痛に耐える日々が始まりました。痛みが徐々に増し、おそらくそれを見かねた先生が2時間後ぐらいにバルーンを取り外してくれました。
この時、何とか5センチほど子宮口が広がりました。
陣痛促進剤もさらに強く打ち、陣痛も痛みはさらに激しくさらに間隔が短く、本当にもう耐えられないと何回も何回も思いました。
出産に向かうには、子宮口が8センチとか10センチまで広がらないと難しいと言われています。この時はまだ5センチ足らずで子宮の膜も厚い状態でした。
赤ちゃんもなかなか下に置いてこず…。時間はもう午後2時ごろになっていました。
最後もう一度子宮口の確認をしたところやはり赤ちゃんが降りてきそうな気配を感じることができず、先生から帝王切開のお話を聞きました。
あれだけ自然分娩がいいと思っていたのに結果的に陣痛促進剤やバルーンやらこれでもかと言う人工的な処置をして、でもそんなことも考えられないくらい、痛みにのたうちまわっていました。
そして私は、帝王切開での出産を受け入れることにしました。
bubba_gump at 02:06|Permalink│Comments(0)
2019年05月29日
誕生。そして痛みのフルコース【つわり編】
令和元年5月28日15時59分。
3200gの女の子を出産しました。
最終的になって帝王切開だったんですが、母子ともに元気です。
無事に産まれてきてくれたことが何よりの宝物。
同時に、私の場合は重度のつわりに始まり、痛みのオンパレードでした。
記憶がまだ新しいうちに、ここに書き残しておこうと思います。
【つわり】
妊娠3ヶ月ほどで、重度のつわりへ突入。
次第に食欲がなくなり、歩くのもあるしんどくなり、しまいには寝ている以外何もできない状態に。
そこまでの吐きづわりではなかったものの、水も飲めないほどになり、食べられたのは1日にハリボーのグミ3粒という日も。
みるみる体重が落ち、最高で7キロ減。
お手洗いの回数は1日1回あるかないかまでの脱水症状に。
さすがにこれはまずいと思い、入院を決意。
ほぼ這うように最後に力を振り絞ってタクシーに乗り病院へ。
24時間点滴の入院生活。
食べてないので血管が細くなり、点滴の針が入らず痛い思いを何度もする。
体重が2キロ弱戻った2週間後にヨロヨロして退院。
病院は「セレブ御三家の病院」と呼ばれているところだったので、ホテル並みの個室&食事が豪華。
その食事はほとんど食べられず…
でも入院後半は少し食べられるようになったのでそのお味を堪能。
器の容器も瀬戸物など豪華。午後3時には美味しいおやつも出るほど。
つわりは匂いがダメで、食べ物も食べられるものが限られてしまっていたため、個室だったのと、食べられないものを変えてもらうなどの融通が利いたのはありがたかった。
また、担当医の先生をはじめ、看護師さんが皆親切だったので、ありがたかった。
2週間後に退院の許可がおり、自宅へ。
それでも寝たきりの生活は続く。
痛みは、たとえて言うなら船酔いに近い気持ち悪さが24時間
寝ているとき以外続く感じ。
そのため、痛みを紛らわすためにしてたのが『ドクターマリオ💊』。
夫のNintendo switchを借り、レベル19とか20の難易度マックスにしてひたすらにやっていた。
妊娠19週あたりからつわりがおさまり出し、食べられる、歩けるように。
この頃から仕事も徐々に復帰し、混んでない時間帯を狙って出退勤を始めた。
5キロ近く痩せて復帰したため、職場の人みんなに心配される。
でも温かく迎え入れてもらえてとてもありがたかった。
つわりをはじめ、育児について理解のある職場だったことに心から感謝。
というのが、つわり編です。
そして「つわりのしんどさを経験してるから、出産は乗り切れるはず」と思っていたのですがこれまた大間違いでした…!
次回は【出産】編で。
bubba_gump at 23:12|Permalink│Comments(0)
2018年05月22日
「それ、誰に向けての言い訳?」
「それ、誰に向けての言い訳?」
久しぶりにガツンときた。
企画が通らないのも、筆力が弱いのも、「まだ3年目だから」という発言を
してしまったことに対する質問だった。
とっさに、「自分に対してです…」と蚊の鳴くような声で答えましたが。
そっか、自分に対し言い訳してたんだなと気づきました。
それを言われたときは、悔しいし、むかつくし。
でもそれは、図星だから思うんだね。
年齢も経験も関係ない世界にいることを思い知る。
やるか、やらないか、それだけ。
思い出すだけで、悔し涙がこみ上げてくる。
見てろよ、と心の中で叫ぶ。
現実を受け入れろ。
伸びしろしかないんだから。
bubba_gump at 23:51|Permalink│Comments(0)