今日の出来事
2017年08月25日
偶然できたことは、実力ではない
ライターとしてスタートしてから、丸2年が経ちました。
この2年の、経験、人との出会い、取材の量、書く機会は、2年前の自分が想像つかないほど
貴重なものとなっています。
だけど、果たしてスキルはついているのだろうか?
客観的に考えて、スキルはついているはず。
なのに、不安になる。
きょうは、本当につまらない記事を書いてしまった。
取材先には申し訳ないし、読み手も楽しくないだろうし、媒体にも失礼だ。
これが実力なんだと思う。
もちろん、今までで良いと思う記事、自分でも頑張ったと思う記事はたくさん書いてきたつもり。
少し自信がついたと思うと、こうやって落とされる。
まだ不安定なんだということなんだと思う。
書くことだけじゃないけど、何事もやらないとうまくならない。
失敗して、怖くなって、守りに入ってしまったら、何も進まない。
わかっているけど、へこむ。
きょうはそういう日だったんだけど、忘れないうちにメモを。
取材というのは、聞いて集めたものを、単につなぐだけではダメ。
それではツギハギになってしまうから、つながらなくなる。
そうではなく、論を持って取材を進める。論とは書きたいもの、と言ってもいいだろう。
きっと、自分でうまくいったと思う記事はそれが自然とできていたんだと思う。
そう、この「自然と」というのがよくない。無意識に成功していたことでも、
再現性がなければ、それは実力ではなくマグレの連続。
そこが私に足りないものなんだと思う。
何が書きたいのかを明確にする。取材して書くのではなく、書くために取材する。
上司に言われて気づかされました。
今回のことはごめんなさいって思って、その分次につなげたいと思いました。
bubba_gump at 02:13|Permalink│Comments(0)
2016年12月29日
記者はデスクによって育てられる
仕事納めのきょう、1月に人事異動するデスクにお礼のご挨拶をしました。
ニッポンの課長という連載の担当デスクで、当初から原稿をずっと見てもらっていました。
来週発売号に掲載予定の原稿を提出した際にもらったコメントは、
「記事の締め方とか、全体的に課長の方の人柄がにじむ筆致とか、よかったと思います 」
というものでした。
こう直接的に、「よかった」と言ってもらえたのは初めてでうれしかったです。
何回か指摘してもらっていたのは、文章の「締め方」でした。
弱かったり、「企業パンフレット」みたいになったり…
記事の最後って、難しいんです。
そこを「良い」と言われたことは、大きな一歩になりました。
そして、きょう、もう一つありがたい言葉をもらいました。
「どんどん(原稿が)上手くなっていっているんで、まだまだ発展途上だと思いますが
これからもどんどん書いていってください」
今年の5月に初めて買いてから、12社取材させてもらいました。
振り返ると、まだ1年も経っていないんだなって。
記者やライターは、編集者とデスクによって育てられると痛感しています。
私がどういう立場の人間かわかってくださっていたので、
この連載を通して、「育てよう」としてくださる気持ちを感じていました。
短い間でしたが、どうもありがとうございました。
将来、良い報告ができたらいいな。
ニッポンの課長という連載の担当デスクで、当初から原稿をずっと見てもらっていました。
来週発売号に掲載予定の原稿を提出した際にもらったコメントは、
「記事の締め方とか、全体的に課長の方の人柄がにじむ筆致とか、
というものでした。
こう直接的に、「よかった」と言ってもらえたのは初めてでうれしかったです。
何回か指摘してもらっていたのは、文章の「締め方」でした。
弱かったり、「企業パンフレット」みたいになったり…
記事の最後って、難しいんです。
そこを「良い」と言われたことは、大きな一歩になりました。
そして、きょう、もう一つありがたい言葉をもらいました。
「どんどん(原稿が)上手くなっていっているんで、まだまだ発展途上だと思いますが
これからもどんどん書いていってください」
今年の5月に初めて買いてから、12社取材させてもらいました。
振り返ると、まだ1年も経っていないんだなって。
記者やライターは、編集者とデスクによって育てられると痛感しています。
私がどういう立場の人間かわかってくださっていたので、
この連載を通して、「育てよう」としてくださる気持ちを感じていました。
短い間でしたが、どうもありがとうございました。
将来、良い報告ができたらいいな。
2016年12月26日
お腹にある怒り
長く、身心をみてもらっている整体の先生がいます。
月に1回行くか行かないかなのですが、先生と向き合うときはいつも緊張感があります。
「見透かされている気がするから」です。
みる人の、立ち居振る舞いや表情、体形で、近況がわかってしまうみたいです。
今回2か月ぶりくらいに見てもらったとき、最初に言われたのが
「体形変わった?灰汁が落ちた…かな?」ということでした。
この日はいつもより長くみてもらった気がします。
すると、頭がぼーっとしてたのが、重心が下に降りたように感じました。
そして、仰向けになってお腹左をぎゅーっと押されて、「イタタタ」と思っていた矢先に
先生が「これなんだと思う?」と質問。
「食べたものですかね」と答えると、「違う!」笑いながら一掃。
「これは、怒り」と言われました。
それを聞いて、なるほどと腑に落ちる。
「怒りがたまっているから、それを『体系化』した方がいい」とも。
その意味もよくわかりました。
私はもともと怒りが強いタイプだと思います。
小学校のときは短気というか、そんな感じでした。中学以降は、どなり散らすとか
キレるとかそんなことはなかったと思うんだけど、いつも怒ってたような気がします。
それは、直接自分に起こっていたこともあるし、もっと抽象的というか、
学校とか世の中とかそういうものに対して怒ってたんだと思います。
そして、それは今でもそうです。
やっぱり怒ってるんですよね。色々なことに対して。日常の人関係や仕事、
電車の中で嫌な乗客にかかわった時、この前の沖縄のオスプレイ墜落とか…
日々、そういうことに感化されているなって。
「それは『正義感』です。そして、それが書く原動力になっているから。
ジャーナリストへの道としては順調なんかじゃないですか」
と先生に言ってもらえました。
怒りは、無意識にいつも感じていることでした。
なので、出来るだけ言葉にして(体系化して)、自分が何に対して怒っているのかを
客観視することで少しは自分自身が楽になるのかなと思います。
わずか10~15分の整体だけど、いつも多くのことを先生から教えてもらっています。
月に1回行くか行かないかなのですが、先生と向き合うときはいつも緊張感があります。
「見透かされている気がするから」です。
みる人の、立ち居振る舞いや表情、体形で、近況がわかってしまうみたいです。
今回2か月ぶりくらいに見てもらったとき、最初に言われたのが
「体形変わった?灰汁が落ちた…かな?」ということでした。
この日はいつもより長くみてもらった気がします。
すると、頭がぼーっとしてたのが、重心が下に降りたように感じました。
そして、仰向けになってお腹左をぎゅーっと押されて、「イタタタ」と思っていた矢先に
先生が「これなんだと思う?」と質問。
「食べたものですかね」と答えると、「違う!」笑いながら一掃。
「これは、怒り」と言われました。
それを聞いて、なるほどと腑に落ちる。
「怒りがたまっているから、それを『体系化』した方がいい」とも。
その意味もよくわかりました。
私はもともと怒りが強いタイプだと思います。
小学校のときは短気というか、そんな感じでした。中学以降は、どなり散らすとか
キレるとかそんなことはなかったと思うんだけど、いつも怒ってたような気がします。
それは、直接自分に起こっていたこともあるし、もっと抽象的というか、
学校とか世の中とかそういうものに対して怒ってたんだと思います。
そして、それは今でもそうです。
やっぱり怒ってるんですよね。色々なことに対して。日常の人関係や仕事、
電車の中で嫌な乗客にかかわった時、この前の沖縄のオスプレイ墜落とか…
日々、そういうことに感化されているなって。
「それは『正義感』です。そして、それが書く原動力になっているから。
ジャーナリストへの道としては順調なんかじゃないですか」
と先生に言ってもらえました。
怒りは、無意識にいつも感じていることでした。
なので、出来るだけ言葉にして(体系化して)、自分が何に対して怒っているのかを
客観視することで少しは自分自身が楽になるのかなと思います。
わずか10~15分の整体だけど、いつも多くのことを先生から教えてもらっています。