記者と編集者はちがう記者はデスクによって育てられる

2016年12月26日

お腹にある怒り

長く、身心をみてもらっている整体の先生がいます。
月に1回行くか行かないかなのですが、先生と向き合うときはいつも緊張感があります。

「見透かされている気がするから」です。

みる人の、立ち居振る舞いや表情、体形で、近況がわかってしまうみたいです。
今回2か月ぶりくらいに見てもらったとき、最初に言われたのが
「体形変わった?灰汁が落ちた…かな?」ということでした。

この日はいつもより長くみてもらった気がします。
すると、頭がぼーっとしてたのが、重心が下に降りたように感じました。

そして、仰向けになってお腹左をぎゅーっと押されて、「イタタタ」と思っていた矢先に
先生が「これなんだと思う?」と質問。

「食べたものですかね」と答えると、「違う!」笑いながら一掃。
「これは、怒り」と言われました。

それを聞いて、なるほどと腑に落ちる。

「怒りがたまっているから、それを『体系化』した方がいい」とも。
その意味もよくわかりました。

私はもともと怒りが強いタイプだと思います。
小学校のときは短気というか、そんな感じでした。中学以降は、どなり散らすとか
キレるとかそんなことはなかったと思うんだけど、いつも怒ってたような気がします。

それは、直接自分に起こっていたこともあるし、もっと抽象的というか、
学校とか世の中とかそういうものに対して怒ってたんだと思います。

そして、それは今でもそうです。
やっぱり怒ってるんですよね。色々なことに対して。日常の人関係や仕事、
電車の中で嫌な乗客にかかわった時、この前の沖縄のオスプレイ墜落とか…
日々、そういうことに感化されているなって。

「それは『正義感』です。そして、それが書く原動力になっているから。
ジャーナリストへの道としては順調なんかじゃないですか」
と先生に言ってもらえました。

怒りは、無意識にいつも感じていることでした。
なので、出来るだけ言葉にして(体系化して)、自分が何に対して怒っているのかを
客観視することで少しは自分自身が楽になるのかなと思います。

わずか10~15分の整体だけど、いつも多くのことを先生から教えてもらっています。


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